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聖イシュトバーンの右手とは?伝説と信仰の1000年

聖イシュトバーン 聖なる右手

TV番組『世界遺産』を見ていたら、気になる聖遺物が出てきました。『聖イシュトバーンの右手』という、右手のミイラです。

番組の中では深く触れられていませんでしたが、数日たってもどうしても気になったので調べてみました!

聖イシュトバーンはハンガリー建国の父。彼の「右手」が1000年以上も大切に守られてきたことをご存じでしょうか?

腐敗せずに残ったとされるこの手は、奇跡の証として人々の信仰を集め、長い時を経て今なお“聖遺物”として崇められています。失われ、見つかり、運ばれ、そしてブダに戻された…この右手の不思議な旅路と、それに込められた信仰と歴史の重みをひも解きます。

本物なのか?という疑問とともに、なぜ人々がそれを「聖なるもの」と信じ続けるのかを見つめてみませんか?

アイキャッチ画像:Image by Tibor Lezsófi from Pixabay

目次

聖イシュトバーンとは?

聖イシュトバーン 戴冠
聖イシュトバーン Image by Elstef from Pixabay

聖イシュトバーン(St. István/Stephen I)は、ハンガリー王国の初代国王であり、同国の建国の父とされる人物です。彼は970年頃にマジャール族の有力首長ゲーザの息子として生まれ、幼い頃にキリスト教へ改宗しました。

当時のマジャール人社会は、複数の部族によるゆるやかな連合体で、まだキリスト教化が進んでいませんでした。イシュトバーンはこれを統一し、キリスト教を国の基盤とする中央集権国家の樹立を目指しました。

1000年、ローマ教皇から王冠を授けられ、ハンガリー王に即位します。彼は教会制度を整備し、司教区や修道院を全国に設けることで、宗教と政治の両面から国の統一を進めました。

その功績と敬虔な信仰から、1083年にカトリック教会によって列聖され、現在でもハンガリーで最も尊敬される国民的英雄とされています。毎年8月20日は「聖イシュトバーンの日」として国民の祝日となっています。

「イシュトバーン」はゲーム『エルデンリング』や小説『グイン・サーガ』にも出てきましたね

ステファノ、ステファン、シュテファン、スティーヴン、エティエンヌなどに対応する名前。「Steven」の由来としては、『英語の名前 FIRST NAME100』(ジオス出版)に以下の記載がある。

「ギリシャ語のStephanosからきている。聖書には、キリスト教の信念のために最初の殉教者になったSt. Stephanの名がある。また10世紀のハンガリーの王の名でもある」

意味としてはギリシャ語で「王のように成功した者」「王位についた者」「王」。

「聖なる右手」とは何か?

聖イシュトバーン大聖堂
聖イシュトバーン大聖堂 Image by btamasi from Pixabay

聖イシュトバーンが死去したのは1038年ですが、列聖に際して1083年に再び棺が開けられたとき、「右手だけが腐敗せずに保存されていた」と伝えられています。この右手は「聖なる右手(ハンガリー語:Szent Jobb)」と呼ばれ、聖遺物として人々の信仰の対象となりました。

中世のヨーロッパでは、聖人の遺体や遺物が「奇跡の証」として崇拝される風習があり、腐敗しない肉体は神聖さの象徴とされました。聖イシュトバーンの右手も、彼の聖性と国を導いた正しさの象徴として特別視され、国家の精神的支柱ともいえる存在になったのです。

この「聖なる右手」はその後、戦乱や政変により各地を転々としますが、1771年にオーストリア女帝マリア・テレジアの命によってブダに戻され、厳重に保管されるようになりました。現在はブダペストの聖イシュトバーン大聖堂に安置されており、毎年8月20日の「聖イシュトバーンの日」には特別に公開され、街を巡る行進が行われます。

ハンガリーの人々にとって「聖なる右手」は、国家の始まりと信仰の象徴であり、歴史と誇りが宿る大切な存在です。

通常時は、聖イシュトバーン聖堂内でガラスケースに収められた「聖なる右手」を間近で見ることができるそうです

トランシルヴァニアからの発見と返還

トランシルヴァニアの景色
トランシルヴァニアの景色 Image by Szabolcs Molnar from Pixabay

大聖堂の公式サイトには、列聖の際の再埋葬のときに「聖なる右手」が切断されたと書かれています

王の体から離れた聖なる右手は、長い歴史の中、さまざまな場所を行き来したそうです。

右手が失われた理由と再発見の地

16世紀、オスマン帝国の侵攻によりハンガリー王国は分断され、中心地ブダも占領されるなどの混乱に見舞われました。この激動の中、「聖なる右手」は所在が不明となります。当時の伝承によれば、信仰心の厚いハンガリー貴族が、右手を密かに持ち出してトランシルヴァニア(現在のルーマニア)に移したとされています。

その後、右手はラウラ修道院(現ルーマニア領ムレシュ県)で再発見されました。かつてハンガリー王国の支配下にあったこの地において、「聖なる右手」は大切に保管されていたのです。

列聖の際「聖なる右手」は宝物庫にしまわれましたが、そのときも管理人の一人が持ち出して行方不明になり、トランシルヴァニアで発見されたことがあったそうです(すぐに王様・ラディスラウス1世が取り返した👏)

マリア・テレジアによる返還の経緯(1771年)

オーストリア=ハンガリー二重帝国の女帝マリア・テレジアは、カトリック信仰の復興とハンガリーとの融和政策の一環として、聖イシュトバーンにまつわる聖遺物の収集に力を入れていました。

1771年、ラウラ修道院に保管されていた「聖なる右手」が正式に再発見されたとの報がウィーンに届きます。マリア・テレジアはこれを国家の重要な聖遺物と見なし、ハンガリー国民の精神的結束を促すためにも、ブダへの返還を命じました。

その後、「聖なる右手」はウィーンの工房で制作された荘厳なネオゴシック様式の聖遺物容器(1862年完成)に納められ、ブダペストの聖イシュトバーン大聖堂にて厳重に保管されるようになります。これ以降、国家的な象徴としての意味がより強まり、現在に至るまで大切に守られています。

聖イシュトバーン「聖なる右手」の冒険年表

年代出来事
1038年8月15日イシュトバーン王が崩御。(聖母被昇天の日)
1083年8月20日イシュトバーン王が列聖され、「腐敗しない右手」が奇跡として語られるように。
1500年代オスマン帝国の侵攻により「右手」が行方不明に。ハンガリー貴族がトランシルヴァニアに持ち出したとされる。
1771年マリア・テレジアの命により、ラウラ修道院から右手が返還される。
1800年代初頭皇帝ヨーゼフ2世の命で十字軍騎士団が保護。騎士団解散後はエステルゴム大司教区が保管。
~1944年ブダ城ジグモンド礼拝堂に安置されていたが、戦火を逃れるため西側へ密かに移送。
1945年8月19日、聖遺物がハンガリーに戻る。
1950年聖イシュトバーン大聖堂の教区に託される。
1987年ガラスケース入りの二重聖遺物容器で展示開始。
2018年~現在大聖堂内の「聖なる右手の礼拝堂(聖マリア礼拝堂)」にて常設展示中。8月20日には盛大な行列も開催。

防腐処理された王の遺体の中で奇跡的に形を保つ「聖なる右手」。当時の人々はより強く神の御業を感じたのでしょうか……

中世ヨーロッパでも、王や聖人など重要な人物が亡くなった場合、遺体が長く保管・移送される必要があるため、一定の防腐処置が施されることがあった。具体的には、以下のような方法が見られる。

  • 内臓の摘出
  • 香料や薬草による処理
  • 油やワックスで包む
  • 乾燥させるための環境に置く

エジプトほど体系だった技術ではないが、「腐敗を遅らせる工夫」は実際あった。

その「手」は本物?科学的検証は?

現在までの保存状況と公開

聖イシュトバーン 聖なる右手
聖なる右手 Image by Kristijan Arsov from Unsplash

聖イシュトバーンの「聖なる右手(Szent Jobb)」は、現在ブダペストの聖イシュトバーン大聖堂の一角にある特別な聖遺物室に安置されています。

ガラス張りの聖遺物容器に収められ、年間を通じて一般公開されており、多くの巡礼者や観光客が訪れる神聖な存在です。

特に8月20日の「聖イシュトバーンの日」には、聖なる右手が大聖堂から外に運び出され、ブダペスト市内を巡る聖遺物行列が盛大に行われます。

このように、聖なる右手は宗教的な儀式の中心に据えられ、ハンガリーの国家的・精神的シンボルとして、今日まで丁重に守られています。

科学的調査が行われていない理由と宗教的背景

聖なる右手に対しては、DNA鑑定やカーボン年代測定などの科学的な調査は一切行われていないとされています。

その理由のひとつは、カトリック教会の聖遺物に対する神聖視にあります。聖人の身体の一部は「聖性を宿すもの」とされており、安易に開封・接触・損傷することは冒涜行為にあたると考えられているのです。

また、ハンガリーにおいて聖イシュトバーンは国家の守護者として深く尊敬されており、科学的な「真贋」は信仰や文化的価値に対してあまり重要視されていません。

多くの人々にとって、「それが本物かどうか」よりも、「それを通して神や歴史とのつながりを感じられるか」が大切にされているのではないでしょうか。

項目内容
科学調査の実施されていない(公式には記録なし)
理由①宗教的に“解剖やサンプル採取”がタブー
理由②国家・歴史のシンボルとして扱われている
理由③遺物が非常にデリケートで損傷の恐れあり
今後の可能性将来的に非破壊的調査での研究がされる可能性はゼロではないが…

キリスト教(特にカトリック)では、聖人の遺体や持ち物を「聖遺物(relics)」として大切にしてきた歴史がある。聖遺物は「この人は神と深くつながった存在だった」ということを目に見える形で思い出させてくれる象徴と捉えられていた。

そして、「人々がそれを聖なるものとして扱い、祈りを捧げ、守ってきた」という歴史そのものが、その遺物の“価値”や“意味”を作ってきたといえる。

なぜ多くの人が信じ続けているのか?

聖イシュトバーン
聖イシュトバーン Image by Ed Wingate from Unsplash

聖イシュトバーンの「聖なる右手」が特別視されるのは、それが物理的に“本物”かどうかよりも、長きにわたり人々の信仰と敬意を集めてきた「心の拠り所」だからではないでしょうか。

ハンガリー建国の父であり、キリスト教を国の土台とした王イシュトバーンは、国民にとって歴史的・精神的な象徴です。その彼の遺物が腐敗せずに残り、何世紀にもわたり大切に守られてきたこと自体が、信仰の奇跡と捉えられています。

多くの人がこの右手を前に静かに祈りを捧げるのは、それがただの「遺物」ではなく、希望や誇り、国とのつながりを感じさせてくれる存在だからでしょう。

信仰とは「証明できるか」ではなく、「心がどこに向かうか」ということかもしれません。

聖なる右手は、千年の時を超えて、人々の想いを受けとめてきた聖なる象徴なのです。

そういう想いは、日本の風習におきかえてみると、とても理解しやすいもののように感じられます

現在の保管場所と見学について

現在、聖イシュトバーンの「聖なる右手」は、ハンガリーの首都ブダペストにある荘厳な聖イシュトバーン大聖堂(St. Stephen’s Basilica)に安置されています。大聖堂の「ハンガリーの聖母の祭壇(Altar of Our Lady of Hungary)」の横に設けられたガラスケースの中で、二重の聖遺物容器に守られて公開されています。

普段も見学は可能で、館内の案内に従えば「聖なる右手」の前で静かに対面できます。また、コインを入れると照明が灯る仕組みもあり、神秘的な雰囲気のなかでじっくり観覧できます。

さらに特筆すべきは、毎年8月20日に行われる「聖右手行列(Szent Jobb-körmenet)」です。これはハンガリーの建国記念日でもあり、国家の守護者としてのイシュトバーン王を讃える重要な行事です。信徒や観光客が集い、聖なる右手が街を巡る荘厳なプロセッションが行われ、敬意と感動に包まれます。

日常と歴史、信仰が重なりあうこの場所で、「聖なる右手」は今も静かに祈りを受けとめ続けています。

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